コード・レッド

ショートショート

「コード・レッド。コード・レッド」

機械的なアナウンスが響く。研究室内のどこかに設置されたスピーカーが、何度も同じ警告を繰り返している。
警報の赤い光が不規則に点滅し、そのたびに白い壁が血のように染まる。人影はまばらで、広い空間に不自然な静けさが漂っていた。

「……つないで、エリコに」

リサは淡々とした声で指示を出す。手元の端末に目を落としながら、異常事態に呼吸が浅くなっているのを感じていた。

オペレーターが頷き、少し緊張した様子でリサの端末に通信をつなげた。数秒の沈黙の後、若い女性の声が応じた。

「ママ?」

「エリコ、無事?」

「……ええ。でも、大丈夫、もう覚悟は決めたから」

その返答に、リサは微笑みを浮かべた。だが、その微笑みには悲しみの影はない。

「そう、さすがは私の娘ね。……じゃあ、これからどうするか、話し合いましょうか」

リサは、エリコの母親であり、同時にこの研究施設の責任者でもある。
ウイルス研究の第一人者として、彼女の名は世界中に知られていた。その天才的な頭脳は、エリコにも受け継がれている。
しかし、エリコの才能は単なる遺伝ではなかった。彼女はある実験の産物だった。

二十年前、リサはある決断をした。未知のウイルスを解析し、それを人類の未来のために利用するという壮大な計画に着手したのだ。
しかし、その計画には倫理的な問題がつきまとった。だからこそ、彼女は自分自身を被験者に選び、遺伝子改変を行った。そして、生まれたのがエリコだった。

「どうして、どうしてこんなことに……」

受話器を握りしめ、涙を流すリサ。

「ママ、私、もう出られないのよね?」

リサの研究に使われていた、人に害をなすウイルス。それがなぜか、厳重に保管されていた倉庫から持ち出され、容器が破壊されていた。
第一発見者はエリコで彼女は瞬時に問題を判断し、容器が破壊されていた部屋を完全に隔離した。エリコは中にいたままで。

エリコの問いかけに、リサは答えなかった。ウイルスに感染したものは2時間ほどで死に至る計算だ。それは助手でもあるエリコも理解していた。

「ママ、これで良かったんだよね?」

「もちろんよ、エリコ」

エリコは深く息をつき、やがて電話の向こうで静かに答えた。「……ありがとう、ママ。ねえ、教えて。私はあなたの娘? それとも実験体?」

「あなたは最高の実験体であり、娘だった。人知を超えた、高い知能を持つあなたのデータをもとに人間はさらなる進化を遂げることができるわ」

リサの計画は、成功していた。しかし、そのデータがあれば新しいサンプルの調達は容易だろう。こういったことに食いつく科学者はたくさんいることをリサは知っていた。
最高のサンプルを失うことへの喪失感だけがリサの感情を揺さぶっていた。彼女は次の計画を頭の中で組み立てていく。

「ママ、これからは私が実験を続けるわ」

「何を言っているの?」

エリコは画面越しのリサに目を向けずに滔々と語りだした。

「だって、ママが教えてくれたのよ。進化は自分で選ぶものだって。だから私は、自分でこの実験をコントロールするわ。ウイルスはね、ここにだけ撒かれていないのよ」

その言葉に、リサは息を飲んだ。その瞬間、景色がグラッと揺れる。リサは倒れ込んでいた。動かない体の中でエリコの言葉を理解しようとしていた。
ウイルスはエリコが仕組んだことだった。そしてこの症状はウイルスによるもので……。リサの思考はそこで止まった。

「ママ、さよなら。そして……ありがとう」

赤いランプが、不気味なリズムで光り続ける研究室。その中で、リサ一人が立ち尽くしていた。

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