ある冬の日、山深くにひとつの山小屋がありました。
その山小屋に泊まると不思議な体験ができることで登山家たちの間では有名な場所でした。
それは、亡くなった身近な人が枕元に出てくるというもので、死んでしまった大切な人と再会するためにこの山小屋を目指して山を登る人もいました。
登山の経験も少ない健太もその一人でした。
その夜、健太は山小屋で寝る準備をしていました。
炉の火をくべ、灯りを消し、ベッドに横になると、彼は静かな山の夜に包まれました。
深夜になり、健太は奇妙な感覚に襲われ、目が覚めました。
部屋は静まり返っていましたが、どこからかかすかな音が聞こえました。
彼は耳を澄ませ、その音の正体を探ろうとしました。
すると、廊下の向こう側からゆっくりと足音が近づいてくるのが聞こえました。
健太は不審に思いながらも、恐怖に駆られて寝室のドアを閉め、鍵をかけました。
寝ぼけていた健太はこの時、身近な人が枕元に立つという噂は頭から抜け落ちていました。
足音はますます近づいてきます。心臓がどきりと高鳴り、彼は恐怖に身を震わせました。
やがて、山小屋のドアがこじ開けられる音がしました。
健太は震える手で懐中電灯を手に取り、ドアの向こう側に目を凝らしました。
そして、目の前に現れたものに彼は声を失いました。
のっぺりとした白い顔を人間がそこに立っていました。
白い顔は健太の驚いた表情を確認するように顔を近づけました。
「冗談だよ! 久しぶりだな、健太。いいリアクションをとるな!」
白いお面を片手でとり、ガハハと豪快に笑いました。
その顔は数年前に亡くなった父親でした。
健太は呆然と立ち尽くし、言葉も出ませんでした。
「健太ー、おーい」
父親の声が山小屋に響き渡りました。
そこからいたずら好きの父親に健太の怒号が響きました。
「親父に伝えたいことがあるんだ」
30分ほどの説教が終わり、健太が落ち着きを取り戻すと、この山小屋に来た目的を明かしました。
「実は子供ができたんだ」
健太の言葉に父親は、鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔になりました。
「お、おめでとう」
「嘘だよ」
父親の驚きっぷりに健太は嬉しくなりました。彼はこの山小屋にきたらやりたいと思っていた、父親へのいたずら返しが成功しました。健太はそのことを父親へ話しました。
「まいったよ。そんなことのためにこんなところまで来たのか」
父親はあきれながらもどこか嬉しそうでした。
「いや、本当はさ……感謝を伝えに来たんだよ」
それから健太は父親への感謝の気持ちを直接伝えました。
金がないから、残せるものなんてないからと言いながら、父親が健太のために大学へ行くためのお金を少しずつためていてくれたこと。
何も残せないからこそ家族を大切に思っていてくれたこと。照れくさくなり身体がむずがゆくなる感覚になりながらも健太はきちんと言葉にしました。
「そうか……まあその、ありがとな。それと母さんによろしくな」
父親は照れくさそうに健太の言葉を噛み締めていました。
「俺、結婚するんだ」
外に小さな明るさが差し始めたころ健太は言いました。
「冗談じゃないよな?」
父親は少し疑いのまなざしを向けましたが、健太の真剣な顔に本当のことだと悟り、姿勢を正しました。
「大切な人ができたんだ。来月に式を挙げるよ」
健太の言葉に父親は泣きそうになりながら、おめでとう、と息子への思いをを短い言葉で表しました。
「結婚式には化けて出てやるよ」
父親はいつものいたずらっぽい笑顔で言います。
山小屋は再び静寂に包まれ、健太は朝が訪れたことを知りました。
健太は山小屋の扉を開けて、家族が待つところへ歩き出しました。